ARLNATA COLLABORATION

枡屋儀兵衛(株式会社枡儀)
会長:上田 真三氏より

本場大島紬とは

本場大島紬とは経済産業大臣指定の伝統的工芸品で、鹿児島県奄美大島を起源としています。
古くから着物生地として絶大な人気を誇った理由は、美しい光沢と滑らかな風合い、
そこに表現される多彩な柄とその背景にある世界屈指の技術にあります。
紬という名ではあるものの、繊細な柄を追い求める過程で紬糸から生糸に原材料を変え、
滑らかな風合いと美しい光沢を手に入れた大島紬は目覚ましい発展を遂げました。
締機という独特の機織りを用いて表現される「絣」は世界の絣織物の中でも他に類を見ないほど細かく、
そこに裏付けされた表現は多くの人を魅了してきました。
着物地の織物として一大ブームを築いた大島紬ですが、物価の上昇や戦後の着物離れ、
職人の高齢化等様々な要因により減産し続け、その技術の継承は危機的状況を迎えています。

奄美織物について(自社について)

そんな大島紬の美しさと技術に魅了された企業が京都で着物の裏地業を営んでいた「枡儀」でした。
裏地とは全く異なるその織物の奥深さ、絣の技術、背景にある奄美大島の風土に惹かれながら徐々に大島紬を取り扱うようになり、
やがてオリジナルデザインの大島紬を制作、大島紬のメーカー業へ転身していきました。
一方、時を同じくして本場大島紬は減産を続けていました。
2006年にはその状況の厳しさから枡儀の製品を一部手掛けていた製造業者からも廃業の相談がありました。
そこで、大島紬と共にその未来に挑戦するべく、製造子会社として「奄美織物」を設立、
廃業する製造業者の職人にお願いして大島紬の製造を行うことを決意しました。
紆余曲折ありましたが、本場奄美大島紬の製造業者をはじめとした
奄美大島の多くの方の支援により本場奄美大島紬組合員にも登録、その製造を開始しました。
ただし現在に至るまで様々な大島紬の製造に挑戦しつつも、
奄美織物であっても減産は止められず、未だその未来への道半ばにあります。

ARLNATA(アルルナータ)と取り組む理由や展望など

枡儀の創業の原点は呉服小売業でその名を「上田衣服店」と言いました。
枡儀では「着物」を大切にしながらも、創業の原点である「衣服」という概念を通して未来に尽くしたいと考え、
着物以外の分野にもチャレンジしてきました。
結果、日本が誇る素晴らしい生地がより身近な形に変わることで喜んでいただけることも沢山ありました。
しかしその一方で、やればやるほどにこれだけ特殊な生地に新たなデザインを与え、
縫製することへの難しさを痛切に感じるようになりました。
挑戦するほど募る無力感から、やがて商品化までたどり着けなくなってしまい見失いかけた、
まさにそんな状況で出会ったのがARLNATAさんでした。
着物はその多くがオーダーサイズで、一点ずつ丁寧に縫製されています。
その方法は歴史の中で磨かれ、変わらぬ形として確立されました。
その枠組みを超えるためには伝統と新しいデザインを融合させる力、生地の持つ魅力をさらに高め得る的確な形が不可欠であり、
それが私たちの求めたもの、ARLNATAさんと取り組む理由です。
本場大島紬の持つその魅力を着物の枠組みから解放することでただ純粋に人々の美しさや感動に寄与できるのならば、
それは枡儀が考える衣服を通して未来に尽くすことへの道となるのだと感じています。
そして私たちの大島紬を使った、その形を見たときの感動こそが全ての答えになっています。

ARLNATA(アルルナータ )代表寺西 俊輔より

大島紬を知ったきっかけ

服づくりの世界に足を踏み入れてから約16年間にわたり、
日本をはじめ世界の様々な規模のラグジュアリーメゾンでの仕事を経験し、多くのテキスタイルに触れてきましたが、
パリで牛首紬をはじめとする着物の世界と出会った時は、
この現代においてまだこれほどの手仕事が日本に残っているのかと衝撃を受けました。
しかもそれぞれの反物は、それらの産地ならではの風土や歴史を反映した手仕事によって一から作り上げられ、
同じ絹を原料としていながらも産地によって表情の異なる独特の風合いを帯びているのです。
大島紬はそんな紬の中でもとても強い個性を持った存在だと知ったのは、
パリで牛首紬や螺鈿織などを知って家に帰った直後のことでした。ネットで「大島紬」を検索したのです。
「大島紬」「結城紬」という名前はおそらく教科書で載っていたのか、記憶の中にずっと存在していました。
ただ、パリで着物の世界を知り、その入り口に立った自分は、
ふと何故この2つの紬が記憶の中にあるのかの理由を調べるために、検索したくなったのです。
そこで、知ってしまったのは、糸作りの過程でのあまりにも精緻な絣という技術や、
類いまれなる手仕事が現在にも尚残っているという事実でした。
大島紬は紬の中でも、「泥染め」、高度な「絣」、という非常にユニークな個性を持ち合わせており、
なおかつそれが目に見える形で表現されています。
何も知らない状態で大島紬を見てもただの柄の入った布にしか見えないが、その中身を知ってしまったら、
とてつもないテキスタイルなのだということに気づくはずです。
それを自分が知った時、これは未来にも遺していかないといけない、
もっともっとたくさんの人に知ってもらわないといけない、そう強く思ったのです。

ARLNATA(アルルナータ )にとっての大島紬とは

着物を扱い始めてからわかったことは、自分自身が大島紬に対して感じる「すごい」という感覚は、
着物を知っている人達が抱いている「すごい」とそう離れていないということでした。
自分にとって「大島紬」は、良いものは良い。すごいものはすごい。そう言わせしめる存在です。
数学でも音楽でも絵画でもゲームでも、基礎が理解できていなければ何もわからないし、楽しむこともできません。
でも、わかってくるとより深く知ろうという好奇心が湧いてくるし、楽しくなってくる。それはどんな世界でも同じだと思うのです。
きっかけはなんであれ、着物についてまず知ってもらうこと、興味を持ってもらうこと。
そうすれば、みんな自分から調べようとする。
そのきっかけをどう作るかが「着物」の可能性を高めるための大きな課題だなと感じています。
大島紬はその強烈な個性ゆえに、紬に全く関心のなかった人を引き込むための
素材として一番理解してもらいやすい存在だ、そう今は感じています。
もちろんその本質はとてもとても深く、まだまだ自身の知らない世界が待っているのだと思いますが、
それらがARLNATAとともにどう変化し今までとは違った側面を表してくれるのかを考えると、とても楽しみでなりません。